みちべぇの道

道だとか橋だとかが好きで、走ったり歩いたり道に迷ったり

娘に借りた本/夫に渡された本

毎年、今の季節になると思う。

世の中にアマリリスの多々あれど

 

うちの子が一番美人(親バカ(;^ω^))

 

水しかあげてないのに、もう、十何年も毎年咲いてくれています。

ラリラリラリラ しらべはアマリリス~♪

 

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娘に借りた本

 

 

「キラキラ共和国」は「ツバキ文具店」の続編ですね。

鎌倉で、手紙の代書というおよそ今どきでない仕事をしている女性、鳩子のお話。

鳩子は親を知らず祖母に育てられたのだが、「キラキラ共和国」では自分を捨てた母親が登場する。派手な格好で店に現れお金の無心をする母親に鳩子は苛立つが、そんな鳩子に夫は

「鳩ちゃんが今いるのは親のおかげなんだから、感謝しなきゃバチがあたるよ。別に、無理に好きになる必要はないんだから」

という風なことを言い、鳩子はその言葉で、胸につかえていた何かがすーっと降りていくのを感じた。となるのだが、それって言うは易し行うは難し、だな、と思った。

 

私も昔は祖母に同じようなことを言われた。「親に感謝しなければダメだ。お前を生んで育ててくれているんだから」と。

そう言われるたび、私は「子供に感謝されるような親になれ」とか「生まれてきたくなんかなかった」とか、心の中で反発する生意気でひねくれた子供だった。子供にトラウマを与えるような人間は子供を持つべきではない、とも思った。

今は、自分の生きにくさを親のせいにするような歳ではないので、育ててくれた親には感謝している、つもりだが、「ホントに?心の底から感謝しているの?」と自問すると、どうかなとも思う。

好きにはなれないけど心から感謝することができたら、それが大人になるということなのだろうな。私はオバサンだけどまだ大人ではない。

 

夫に渡された本

 

 

「これ読む?」と差し出された本は、NHKのテキストだった。

ドストエフスキーときたか。

「いや、ロシア文学は人名についていけないから苦手なんだよね。」とお断りしたのだが、「面白かったよ、ちょっと読んでみたら」と渡された。

「キラキラ共和国」を読み終わった後、読む本がなくなってしまったので、「100分de名著 カラマーゾフの兄弟」を開いてみた。

 

ロシアのスコトプリゴニエフスクに住む強欲で酒好き女好きの地主、フョールド・パーヴロヴィチ・カラマーゾフがある日殺害される。彼には3人の息子がいる。長男は豪放磊落なドミートリー(通称ミーチャ)、次男は無神論者イワン、三男は修道士アレクセイ(通称アリョーシャ)。使用人のスメルジャコフはフョールドと「神がかり」の女性との間に生まれた子とされる。父親を殺したのはこの中の誰か?うんぬんかんぬん

 

最初の数行を読んだだけで、カタカナが頭の中で踊り出した。通称とかやめてほしい。

それにしても、知らなかった。「カラマーゾフの兄弟」は父親殺しの話だったのね。

「キラキラ…」を読んで「親に感謝」についてモヤモヤ考えていた私の脳には新鮮だった。感謝もへったくれもない、なにしろ父親を殺してしまうのだから。

 

この話の中には様々な傷つく人が描かれている。テキストの著者亀山郁夫氏によると

 

ドストエフスキーの作品の登場人物の素晴らしさとは、まさに傷つく力にあります。しかし人間が傷つくには、それなりの前提が必要となります。その前提とは、ほかでもありません、一人ひとりが持つべき誇りの高さです。もともと志の低い人が傷つくことはありません。誇りが、志があるからこそ人間は傷つくのです。

 

なるほどね、以前読んだ松原泰道という僧侶の本にも「欲望がなければ向上心は生まれませんし、嫉妬心が沸かなければ人間は進歩できません。」と書いてあったかな。

傷つく力、欲望等をコントロールできれば人間は成長し、コントロールを誤れば物語が展開する、面白いかも。

 

父親を殺したのは誰か?

「罪」について書かれている。未必の故意、黙過、傲慢、罪人は山ほどいる。あなたも罪人、私も罪人だ。そんな中で教会のゾシマ長老は言う。

 

すべての人はすべての人にたいして罪がある。こういう考えなしにおのれの魂は救われない。自分が救われなければ、人を救うこともできない。他を救うことで自分もまた救われるのだ。

許しなさい。大地は赦し、堪えている。

 

人を許し、自分を赦し、救われれば救うこともできる。そうだったらいい、そうありたいと思う。

 

 

夫が、私に何を感じてほしくてこの本を薦めたのか、本意はわからないが、何やら普段からうじゃうじゃ考えていることの手助けになれば、と思って貸してくたのであれば有難いことだ、と感じた今日この頃。

 

本文とは何の関係もありません。猫を描きたかっただけ。

 

走っていて元会社の人に会った話

昨日は、蟹ヶ谷公園までJOGした。

 

川の土手がお花畑になっていた。

 

ハルジオン? ヒメジョオン

 

ピンクの花はアカバナユウゲショウみたいです。(うーん、覚えられない)

 

公園の入口近くで、ウオーキングしている男の人を追い越した。

「あ、飲み物買おう」と立ち止まり自販機の前で財布を出していると、さっき追い越した男の人がやってきた。チラリと目をやると、、、あれ?この人知ってる。

昨年倒産した会社の営業部長だった人だ。会社にいたときより少しスリムになっている。「Kさんですよね」こちらから声をかけると、「ああ!久しぶり」と返事が返ってきた。

良かった、人違いじゃなかった(;^ω^)

 

「○○さんはあれからすぐ就職したよ」「△△さんはまだらしい」「■■さんは、自営業をやるって」 さすが元営業部長だけあって色々な情報が飛び出てきた(私の部署の上司の動向も知っていた)。ご本人はO市の会社に再就職したって。

「前の会社より給料は安いけど、仕事はうんと楽だよ。自分の売り上げだけ考えていればいいからね」

そうか、そうだね、大変だったよね。と以前の会社を思い起こす。

私はしょっちゅうこのKさんに怒っていた。無茶を言う営業と、無茶を嫌う制作(私)は、意見がかみ合うはずもなく、「こちらの話を聞いていない」「わかっていない」といつも憤っていた。

冷静に考えれば、営業は、クライアントの意向とかコストとか社長の顔色とか、立場上、多方面に気を遣わなければならず、ストレスも多かったのだろう。彼らの言い分を理解しようとせず、何もわかっていなかったのは私の方だったように思える。

 

私と同じ歳のKさんは、「この歳になって、やりたかったことをしておきたいって思うよ。だからウォーキングしてる」。登山が趣味で今年は涸沢に行きたいと言っていた。

「そうですね、本当にそう思います」心から共感し、別れた。

 

それからまたトコトコ走り出してから、Kさんに話しかけた自分に驚いた(今更)

会社がなくなる前だったら会っても話しかけなかったな、逃げてたかもしれない。相当、人恋しくて誰かと話したかったんだな私。苦笑、でも会えて話せてよかった。

 

そういえば、、また思い出した。

会社の晩年はリストラに次ぐリストラで皆 疑心暗鬼になっており、職場の空気はとても悪かった。私は、いろんな所で囁かれる人の悪口を聞くのが嫌で、自分が誰かのことを批判するのもやめたくて、「今日こそは悪口を言わない聞かない」と心に決めても、つい言ってしまう聞いてしまう、ああ嫌だ嫌だ、と思っていた。

今はそんな日々から解放されて幸せなんだな。

今度また再就職できたら、今度こそ松井秀喜になろう、と謎の決意をしたのだった。

 

 

曇天のち雨ラン

図書館に本を返しに行くついでに走ることにした。

昨日も12キロ走ったが、何となく今日も走りたい、走れる気がする。

久々の二日連続ラン!ランラン♪

 

天気はどんより曇り空。こんな日は、何が良いかって

①散歩や鳥撮りをしている人が少ない

②帽子をかぶらなくてよい(体を締め付けるものが好きでない)

③バフも人がいないところでは外しちゃえ(息がちょっと楽)

涼しいし、日焼けを気にしなくていいし、ってあまり気にしてないけど(;^ω^)(真面目に日焼け防止をしている女子は、曇りの日もUVケアをしていると思う)曇は楽だな。

身軽にトットコ♪

 

小さな公園の藤棚は、花が綺麗に咲いていた。

 

 

何もない小さい公園だけど、藤棚、丁寧に手入れされているなぁ。

藤は何もしないと上に伸びる性質があるそうで、こんな風に花が棚の下に垂れているのは、ちゃんとお手入れしている証拠、と聞いたことがある。

山で見かける、上に伸びていく藤も野性味があって好きだが、こんなダラリの藤も涼し気で良いですね (*^-^*)

 

トットコ走る。昨日より脚がちょっと重い気がする。

 

新幹線の高架下で、ホオジロがさえずっていた。

 

覆面したスズメみたい(;^ω^) 鳴き声はとても美しい。ピッピチュールリリ

 

美声ね♪

さえずりに耳を傾けていると、

頭上からゴーーーーーッという轟音が。

なんと無粋な新幹線めが通過する音が響く。

5分おきくらいに(もっとか?)橋の上を通る「のぞみ」や「ひかり」の走行音にかき消されて、ホオジロの声はメスに届かないんじゃない?

もうちょっと場所を移動するとか。

ここが気に入っているのかな。

鳥の事情はわからないけれど、検討を祈るよ。

 

走っていたら、空気が妙に湿気ってきた。

気が付くと細かい雨の中にいた。

雨は徐々に粒を大きくし、顔に降り注ぐ。

折しも向かい風、そして私は帽子をかぶっていない。

うひゃうひゃ、シャワーラン、ちょっと気持ちいい(≧◇≦)

でも、顔がびしょびしょ美女ぬれ~(←アホ)

ポケットの双眼鏡が濡れるとまずいので、急いで帰ろ

ということで、雨を切り裂いて飛ぶツバメのように(気分ね)

ビューンと帰った。

家に到着する直前に雨は止んだ。

・・・そんなものよね

 

家に着き、玄関で右脚の脛が若干痛いことに気が付いた。

この痛みもまた随分久しぶり。

私は脚に疲労がたまると脛が痛くなる。

以前、脛痛で走るのが辛かったとき整体の先生に「走った後に、ビニール袋でもなんでもいいから袋に氷と水を入れて、片脚15分ずつ2セット冷やすといいですよ」と教えてもらった。

これが抜群に効果があり、脛痛はあっても痛くて走れないということはなくなった。(不整地ランも痛み防止につながったと思うが)

今回も、慌てず騒がずアイスバックに氷と水を入れて脛を冷やした。

今の私の脚は、二日続けて走ると痛みが出るのね。でも冷やせば治まるから大丈夫。整体の先生のアドバイスは本当にありがたい。

今日は脚が疲れるほど走れたんだ、と喜ぶ。

ちょっとずつ脚の力をつけていこう。ちょっとずつね (^_^)

 

 

オオルリの「今、ここ」

八王子城、御主殿跡の高い木のてっぺんに、いい声でさえずっているオオルリがいた。

 

ピリルピリルピー、ポピー、ビルル…

 

複雑なリズムを刻むその声は、透き通った響きをもって、辺りの森に深く沁みていく。

豊かな唄声は、私の心身のあちこちにも沁み入る(*‘ω‘ *)

 

この季節、鳥のさえずりは、繁殖のための手段だ。

縄張りの主張とメスを引き寄せるために、木の上で全身でさえずる。

ピリルピリル…の意味合いは、

「ここはオレの縄張だ、他の奴は入るなよ。でもメスはおいで、子供をつくろう」

ミもフタもない言い方(;^ω^) でも合ってると思う。

そのさえずりが、こんなにも心を打つのはどうしてだろう。

 

木のてっぺんの目立つ場所は、タカなどの猛禽類に襲われる危険が高い。そんな危ない場所に自ら身を置き、餌もまともにとらず1日中唄い続けてテリトリーを主張し、つがいを求める。彼らは命がけで繁殖しようとしている。真剣に、美しく声を響かせる。

 

生きて命を繋ぐ、その根源的なことを実行するために鳥はさえずり、私はそのひたむきさに心打たれる、のかな。(わからないけど)

 

わからないけど、アドラーの「ここに存在しているだけで価値がある」という言葉、自分にはなかなか当てはめて考えられないが、鳥を見ていると「ああ、そうだなぁ」と思う。生きて、命を繋いでくれればそれでいい。

 

・・・はい、支離滅裂になってきましたね (゜-゜)

 

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八王子城跡の辺りは、新緑と川の流れが綺麗でした。

 

 

若葉の緑に囲まれて歩くのは楽し(^^♪

もう、初夏を感じる。

 

 

吠える犬/スマホスコープ

昨日のランの話です。

 

ギャンギャン

いつもの目久尻川沿いを走っていると

キャンキャンキャンキャン

犬の鳴き声が聞こえてきた、む、嫌な予感 (-_-;)

前方に、白い小型犬を連れた女の人が立ち止まっている。

目久尻川で時々会う犬と飼い主だ。吠えているのはその白い犬、いつ会ってもこんな感じで敵愾心むき出しで吠えられるので、なるべく会わない時間帯を走るのだが、今日は何故か遭遇してしまった。

ギャンギャン(吠え)、ウ~(唸り)、ギャンギャンギャン(また吠え)

小さい体をジャンプさせながら私に向かって歯をむきながら唸り、吠えている。

ウ~、ギャンギャン、ウ~、ギャンギャンギャン

 

あー、やかましい。

「弱い犬ほどよく吠える、強く賢い犬はやたらと吠えないものよ」と犬に言い聞かせたい。

飼い主は「こらこらだめだよ」とリードを引くが、犬は聞いちゃいない。

 

元同僚(私と同年代女性)の言葉が浮かぶ

「知り合いの犬は誰にでも吠えるけど、私には絶対吠えない。その犬に初めて会って吠えられたとき、私、そいつの鼻先をグワッと掴んで『ダメッ』って鬼のような顔で叱ったから、それ以来、犬は私に服従してる」

・・・犬、怖かっただろうな(;^ω^)

躾は大事と思うが、同僚のような躾をしても、犬は『ダメッ』と言った人には吠えないけど、他の人には吠える気がする。躾って難しいね。

なんで吠えるの?人に怯えているの?飼い主を守ろうとしているの?過去にいじめられたの?

犬も、人とすれ違う度にずっと吠え続けているのは疲れるだろう。

いろいろ考えていたら犬が不憫に思えてきた。なんとかしてあげて、飼い主。

 

スマホスコープ?

犬に目いっぱい吠えられた後しばらく行くと、沿道の木に向かってカメラを構えている人がいた。

よく見ると、カメラといってもスマホのカメラ、それに細いスコープのようなものがついている。

それは何? 望遠レンズ? スマホで望遠が撮れるの? そんなモノがあるの?

へぇぇぇぇぇ!と思った(知らないの私だけ?)。

スマホスコープがあれば鳥とか花の写真が今よりマシに撮れる? でも三脚がないと手ブレする? 鳥を見つけてから三脚つけてたら鳥が逃げるね。というか鳥を見つけてからスコープをセットするうちに鳥が逃げるね。全部セットして持ち歩く? 重くて走るには不向きか? 小さいカメラを買ったほうがいい?そもそも鳥を撮りたいのか。ああたらこうたら…

どうなんだろう。

 

後で調べたら、結構お手頃価格で売っていた。

 

www.amazon.co.jp

 

 

三脚付きで3,299円

 

不器用な私に使いこなせるだろうか。

こんな風に撮れたら嬉しいけど、写真を撮ろうとすると双眼鏡でじっくり観察できないだろうし、買うべきか否か、うーん、もう少し悩もう。

 

雉と雲雀(キジとヒバリ)

雄のキジがヒョイと目の前に現れ、私を見て慌てて逃げていった。

が、一本道を私と同じ方向に行くので、一緒に走る形になる。

トコトコトコ(キジ)、テッテッテ(私)トコトコテッテットコトコテッテッ

キジ、なぜ飛ばない? 鳥なのに

十数メートル先導してくれたキジは、横の草むらに入っていった。

草むらの中に巣があったのかな、巣を守るべくパトロールをしていたのかな。

 

また少し行くと、畑の盛り土の上で、ピーチクバーチクさえずるヒバリに会った。

ヒバリは空高く飛びながらさえずり、降りてきて土の上でさえずる。働き者。

 

頭の上の冠羽、実際はもっとはじけた感じでカッコイイのです。

 

 

昨日は、割と(私にしては)集中して走ったつもりでしたが、こうやって書くといつも通り辺りに気を散らして、雑念だらけの頭で走ってますね。全然、黙々とただ走っていないわ (;^ω^)