昨日のまっくさんのブログを読ませていただき
( ↑ 勝手にリンク貼って良いのでしょうか? まっくさんなら怒られなかなと、、ダメだったら言ってください (^-^; )
ブレッド&バターの「あの頃のまま」・・・懐かしい!
久々にYouTubeで聞いて、ウルウル( ;∀;)。繰り返し何度も聞きました。
幸せの形に こだわらず
人は自分を生きてゆくのだから
メロディーも泣かせる。歌う声もいい。
そうですね、幸せの形は自分が決めるもの。
歌人、大滝和子の
めざめれば又も大滝和子にてハーブの鉢に水ふかくやる
という歌にあるように、自分が自分であることを持て余しながらも、折り合いをつけて生きていくしかない。人は自分を生きてゆくのだから。
沁みました。
********
辛いとき、歌に慰められたり、人の優しさに感動したり、そんな事があります。
私のつたない経験を振り返ってみても、あるかな、ないかな(どっちなん?)
-----
歌に励まされたこと
以前の会社の上司(私と同年代の女性)とは仲が良く相棒的な関係だった。が、ある出来事がきっかけで、彼女と歯車がずれてしまった。
私は彼女を尊敬できなくなり、彼女は私を信用できなくなった。お互いに言葉が、思いが通じない。それでも、関係を修復しようともがいたことがあった。
そんなとき聞いて号泣したのがこの歌
ドリカム、何度でも
伝えたい言葉は 届くだろう?
誰かや何かに怒っても 出口はないなら
何度でも何度でも何度でも 立ち上がり呼ぶよ
きみの名前 声が涸れるまで
悔しくて苦しくて がんばっても
どうしようもない時も
「何故そんなことをするのだろう」「どうしてそんな風に言うのだろう?」悔しくて苦しくて、でも相手を理解したくて、自分の気持ちも解ってほしくて必死だった。
朝、この曲を聞いて「よしっ」と気合を入れて会社に行ったことを思い出す。
彼女とはいろいろ話して、時間と共に少しずつ普通に接することができるようになっていった。しかし翌年彼女は会社を辞めた。心の傷は塞がらなかったのだろうな。
この経験は、私の持つ正義感が時として先走ってしまい相手を傷つける場合があること、人には人に見せたくない弱さがあること、どうしようもないことってあるんだよね、ということを学ぶ良い機会だった。
うーん、抽象的で意味不明な事を書いてしまった (;^ω^)
-----
人の優しさ
認知症の母の様子を見に帰省した翌朝
会社に向かって歩きながら、母の姿を思い出していた。
家に上がって対面したとき、母は、私が誰か少しの間わからなかった。すぐに思い出して私の名を呼んでくれたが、すっかり忘れてしまうのも時間の問題だろうな、どんどん衰えて死んでしまうのかな、と思ったら涙が込み上げてきた。(甘えん坊の泣き虫です)
必死で涙をこらえ会社の玄関を入っとき、同僚が私の顔をみて「どうした?」と驚いて声をかけてきた。そこで涙腺が壊れた。
同僚は私をハグし背中をトントンしながら「私たちの年代はいろんなことがあるから溜め込まないほうがいいよ。疲れてるみたいだし無理しちゃダメだよ」と優しい言葉をかけてくれた。その優しさに更に涙が出た ( ;∀;)
-----
辛い思いは味わいたくはないけれど、そんな経験をしてこそ何かが胸に沁みたり、優しい気持ちを感じたり、人間として少しずつ深まっていくような気がします。
今、改めてドリカムを聞いて、気持ちを新たにしてみる(すぐ影響される(笑))
10001回目は 何か 変わるかもしれない
自分と戦ってみるよ
っていうのもいいな。
人は自分を生きてゆくのだから、好きなようにするのが一番いい。
私もちょっといろいろ頑張ってみよう。
失敗して落ち込んだとしても、人としての糧になるかもしれない(願望)
今日の朝刊「アロハで猟師してみました」という記事に
負けは、認めるまでは、負けではない
というクダリがあった。
しぶとさがカッコいい