みちべぇの道

道だとか橋だとかが好きで、走ったり歩いたり道に迷ったり

「対岸の彼女」支離滅裂感想

角田光代対岸の彼女」を読みました。

 

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図書館で手に取り、冒頭の1行に目を通して、借りた。

「私って、いったいいつまで私のままなんだろう。」

 

昨日、読み終わって本を閉じたときの気持ちは

「・・・で?」

言いたいことが解らない。私の理解不足?普段ならこういう時「よくわかんなかったよ。」と次の本にいってしまうのだが、読みながら感じていた不穏な空気と切実さが気になり、もう一度ざっと読みなおし、考えてみた。

また誤った解釈になりそうだが (>_<)

 

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三歳の娘を持つ主婦 小夜子の物語と、小夜子が就職した会社の社長である葵の高校時代の物語が平行して進んでいく。

 

小夜子の話は

真面目だが、内向的で人と関わることが苦手な小夜子は、公園でママ友とうまく馴染めず、娘も友だちができず、その状況を変えようと働く決心をする。就職先の社長 葵とは気が合い、仕事にもやりがいを見出していく。

 

葵の話は

少し風変りなクラスメート、ナナコと親しくなりながらも、ナナコと関わることでクラスの仲間にいじめられるのではないかという不安を抱え、教室ではナナコに一切話しかけない葵。放課後の二人は学校から離れた秘密の場所(河原)で、日向の子犬のようにじゃれ合い、眩しい程の明るさにまみれた時間を過ごす。

 

登場する人物は

優しいが、妻の仕事に理解のない夫

孫の面倒はよく見るが、嫁に嫌味を言う姑

気さくだが、「保育園の子」を悪く言う幼稚園児のママたち

グループになりたがる女子高生

会社思いがゆえに社長を批判する社員

 

ありがちなキャラが次々と出てくる

こんな人知ってる、息苦しくなるくらいリアルな人たち

それぞれに良い人だが棘や弱さを持っている

 

 

紆余曲折あり、物語の終わりの方で小夜子は自問する

なぜ私たちは年齢を重ねるのか

この問いの意味がわからなかった。時間が流れれば人は歳をとるもの。「なぜ」の意味がわからない。前後の文を読み返して、こういうことかなと思った。

何歳になっても人は人を見下し、悪口を言い、自分を守ろうとする。何も成長しない。だが、歳を重ね自分の生活を持つことで、その「生活」の中に避難することはできる。歳を重ねるのは人から逃げるためだろうか?

銀行に用事がある、子どもを迎えにいかなきゃならない、食事の支度をしなくちゃならない、そう口にして、家のドアをぱたんと閉めるためだろうか。

 

その後、新たな出会いがあり、小夜子が出した答えは、歳を重ねるのは逃げるためではなく、出会うためだと。

なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない。また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。

 

ふむふむ、やっぱりよく理解できないけど、何となくわかったのは、小夜子は、いや、角田光代は、リアルな目で人を見つめ、そのリアルな姿、良いところも嫌なところも全部ひっくるめて、人が好きなんだな。傷つけられることを恐れつつ、それでもまた人と出会いたい、そんな思いが強い人なのだ、と感じた。

 

人は、自分が優位な立場に立つのは気持ちがいいから、些細なことで人を批判をし見下す。それは明らかに自分の弱さ無能さを庇う姿で、恰好悪いと思うのだが、角田光代は笑って「人ってそういうものだよね」と彼らを許し優しい気持ちで受け入れている気がする。

人に対する愛と、興味が強い人なのだろう。だから人と出会いたい、切実に。

 

私はたぶん、そんなに人が好きでない(そんなこと言うから… (;^ω^))

テレビのニュースを見ていて、ただただ不快になるのは、人の弱さや愚かさを見せつけられるのが嫌だからだと思う。

好きでないから家族間でも努力が必要。誰でも良い面と悪い面を持っていて、完璧な人間なんてどこにもいないことは知っているから、夫の嫌なところはなるべくスルー。良いところに感謝しよう。自分だって不完全な人間だから、と思う。そう思わないと夫婦なんてやってられない(笑)子供はそうはいかないが。

ひねくれた私だが、もっと自然に、相手のダメなところもを受け入れ(スルーと受け入れるは似ているようで違う。受け入れるには自分の器が大きくないと)、人に興味と愛情を持てるようになったら今より切実に(?)面白い毎日が送れるかも、と、この本を読んで思った。

 

「ま、人ってそういうものだよね」って良い言葉じゃない?