なんだか今日は調子が良い気がする。
そう思ったときが走るとき。ちゃっちゃと着替えて出発。
ぼんやり青い空の中で、富士山だけ太陽の光を反射して白く浮かびあがっている。
はい、うまく写りません (;^ω^)
ゆっくりゆっくり、辛くなったら更にゆっくり、止まらず走りましょう。
走っているうちにほんの少し足が動くようになってきたように感じた。ちょっとスピード上げてみようかな、といってもキロ6だけど。
ところが、速度を上げたとたん、周りの景色がグラリと歪んだ。あわわ(*_*; 倒れるかも、それはダメ、まずい。足はなぜか前に進みたがっているが意志の力でストップをかける。深呼吸、スーハースーハー、大丈夫そうだ。
なんてことだ!調子いいと思ったのに。このご時世、救急車で病院、なんてことになったらみんなの迷惑だ。今度から気分が悪くなったときに備えてタクシー代とエチケット袋を持って走ろう。
そこまでして走りたいか?
そこまでして走りたい。と言い切りたいが、解らなくなってきた。
もともと体力のない私が、長い年月走り続けてやっと人並の脚力・持久力を持てるようになった。手放したくない。今、走るのをやめたら全て元の木阿弥かそれ以下に落ちるだろう。嫌だ、もっと外で遊びたい(子供か)。
今年は夏に双六岳に登ろうと言ってたけど、こんなんじゃ無理だな。
しょんぼりと歩いていたら、川の中に白い鳥が立っていた。
ダイサギ。写真と撮ろうとしたら飛んでいってしまった。
私の住んでいる町には、鷺(サギ)たちのコロニー(集団繁殖地)があり、この辺りはアオサギもダイサギも多い。なので今まであまり気に留めたことがなかったが、ダイサギは、いつ見ても洗い立てのように真っ白な姿をしている。
川の浅瀬に立って魚を狙っていたり、土手にあがってくつろいでいたり、常に単独行動の鳥だ。
何ものにも染まらず、ただ白い。孤高の人(鳥)
独りのサギを見ていて、突然思い出した。私、ずっと独りになりたかった、と。
実家を出て4年間は寮生活、その後結婚し現在に至る。私は一人暮らしをしたことがない。誰よりも独りを愛しているのに縁がなかった。それだけに一人暮らしには強い憧れを持っていて、一人で住んでいる友人らの話を聞くのが好きだった。
友人たちの話…「私、部屋に帰ると裸族だよ」「トイレのドアは閉めたことない」「ブロッコリーにハマって、夕飯ずっと毎日ブロッコリーを食べ続けた」「鍋から直接ラーメン食べてた」 いいなぁ、自由な生活、人目のない暮らし。
あれ?できるじゃない、というか今やってるじゃない、憧れの独りの暮らし。全然気付いていなかったが。
昨年8月に失業してから家にいる。夫が会社に行ってる朝7時から夜7時までの半日、私は完全に独りだ。どうして今まで気が付かなかったのだろう。せっかく独りなのに、体調が悪いとか、仕事が見つからないとか、鬱々とした時間を過ごしていた。もったいない、私は解放されている、自由で独りだ、という自覚を持てばもっと心の底から幸せを感じられるはず。再就職するまでの束の間の幸せかも知れないから、心行くまで味わおう。そっかぁ、独りなんだ。ニヤニヤ(^^♪
独りを満喫しよう
家に帰ってシャワーを浴び、さあ、独りを楽しむゾ、と思ったが、今の季節は裸族でいると寒いし、トイレのドアは閉めないと落ち着かないし、食べ物は鍋から直接食べるより器に入れたほうが美味しい。とりあえずお昼ご飯、夫が苦手なアサリをボンゴレスパゲッティにして食べた。
相変わらず美味しそうに見えないが美味しかった (;^ω^)
食べながら考えた。私が求めている独りの時間は、人目を気にしない生活ではなくて、人を気にしない生活なのだ。家の中に人がいるとその人の「気」に影響を受け休まれない。少しずつ疲れていく。(なんでそんな奴が結婚して子供まで生んだんだ、と自分でも思う。)だから、人のいない家の中で自分の気を存分に発し、のびのびとお茶を飲んだり本を読んだり、そんな時間がとても楽で嬉しい。
贅沢なことを言ってるのだろうな、と思う。今は半日限定独りだが、この後、本当の独りになったら、寂しいのだろうか、不安だろうか、怖いと感じるのか、それはその時になってみないと解らない。
今は、しみじみと独りを味わおう (#^.^#)