往生とか浄土とか
鎌倉時代の人々がそういう状況下で、念仏を心の拠り所としたことは納得。
じゃあ、今は?
親鸞の時代から700年以上経ち、今は文明社会。
輪廻や浄土を心から信じている日本人は、たぶんそんなにいない(と思う、どうなんだろ?)
でも、現代も多くの人が「歎異抄」を読み、感銘を受けているらしい。
例えば、司馬遼太郎が「無人島に一冊本を持っていくなら『歎異抄』」と言ったとか
哲学者の西田幾多郎が「一切の書物を焼失しても、『歎異抄』が残れば我慢できる」と言ったとか、ハイデガーが絶賛したとか。知識人と言われる人たちが「歎異抄」を愛している。
なぜなぜ? どうして?
「歎異抄にであう」で、阿満さんは
常識では解決できないような苦しみや不条理を経験することが、人生にはあります。それによって私たちは「どうすればこの状況に納得できるのだろうか」ということから「人生を支える意味はどこにあるのだろうか」という根本的なことまで問わざるを得なくなります。
その役割をはたしてくれるのが宗教的古典だと思いますが、とりわけ「歎異抄」だと私は言いたいのです。
災害や病気、親しい人との死別など不条理な出来事は時代を関係なく訪れ、娑婆(現実世界)は頼りにならない。
そんな非常事態こそ「歎異抄」が役に立つ、と。
「まえがき」を読んで、なるほど、と思った。
五木寛之は戦争体験者で、自分のことをこう語っている。
他人を蹴落とし、弱者を押しのけて生きのびてきた自分。敗戦から引き揚げまでの数年間を、私は人間としてではなく生きていた。その黒い記憶の闇を照らす光として、私は歎異抄と出会ったのだ。
戦争という非常事態・・・
司馬遼太郎も出兵し戦車部隊に配属されている。
戦争という異常な状況の中で恐ろしい目にあったり、「縁」あって非道なことをしてしまったのか。
どんなに辛かったことでしょう。
消したくても消せない心の闇があったのだろう。自分を責め、苦しみもがき、どこにも出口のない痛みの中で、一筋の光が 弥陀の本願だったのか。
自分ではどうにもできない傷を持った人、手を汚してしまった罪深い自分でも受け入れてくれる阿弥陀仏。
救いこそが人生を支える、というより、救いがなければ倒れてしまう。
阿弥陀仏が自分から「救うよ。救いたいよ」と手を差し伸べているのだから、飛び込んで行けば全力で受け止めてくれる。
そんな大きな存在を信じられれば、確かに幸せだよな、と思う。
しかし、この人たちも「浄土に生まれる」ことを求めていたのだろうか?
それこそ、「今、救ってほしい」と願うのではないの?
「私訳・歎異抄」第一条は、こう始まっている。
あるとき、親鸞さまは、こう言われた。
すべての人びとをひとりのこらずその苦しみから救おうというのが、阿弥陀仏という仏の特別の願いであり、誓いである。
その大きな願いに身をゆだねるとき、人はおのずと明日のいのちを信じ、念仏せずにはいられない心持ちになってくる。そして「ナムアミダブツ」と口にするその瞬間、わたしたちはすでに間違いなく救われている自分に気付くのだ。
良い訳だな(*^-^*)
原文には「往生」という言葉が使われているが、五木寛之は「浄土に生まれる」ではなく「苦しみから救う」と訳している。
現代人向けの解釈?と思いながら読み進めていくと、親鸞自身、浄土に拘っていないことがわかる。
第二条で、親鸞は言っている
念仏がほんとうに浄土に生まれる道なのか、それとも地獄におちる行いなのか、わたしは知らない。そのようなことはわたしにとってはどうでもよいのです。たとえ法然上人にだまされて、念仏をとなえつつ地獄におちたとしても、わたしは断じて後悔などしません。(親鸞は法然の弟子です)
どっちでもいいのよね。
浄土へ行こうが行かなかろうが、そんなの関係ないの。
心を込めてあなたの名前を読べば
あなたが私を受け入れてくれる
そしてあなたの願い通り、私の苦しみがとけていくことを、私自身が感じれば
それでいい。いや、それを一番望んでいるよ(みちべえ訳 (;^ω^))
という感じかな
勝手な解釈だが、
彼らが「歎異抄」を心の書とした気持ちが解かった気がした。
でも、まだ疑問がある。(しつこい)
そんな、究極の「非常事態」を経験していない時代に生まれた人たち(私たち)
物質的には豊かになり、普通の生活をしている今の人が
「こんな時代だからこそ歎異抄」と、人生の指南書として「歎異抄」を読んでいる、といわれるのは、どういうこと?
(まだつづきます)