ヨガ仲間Kちゃんの住む街に遊びに行って来ました。
ここ数ヶ月、Kちゃんの愛犬 ナナちゃんの腎臓の具合が良くないということで
彼女はヨガ教室をずっとお休みしてて(私も骨折で行けなかったけど)
かなり気弱になっているようなので心配していた折
先週のメールのやりとりで、突然「遊びにおいでよ」とお誘いがあったので
お言葉に甘えて、Kちゃんとナナちゃんに会いに行きました
電車を乗り継いで2時間弱。
知らない街に行くのは、どんなに近くても旅だよなぁ、と思う。
一人旅 ♡ 初めての街、景色
めったに行かない東京!わー緊張する~(おのぼりさん)
電車に揺られながら
今、私は国内ならば たぶん一人でどこにでも行けるだろうけど
自分の両親はそうじゃなかったんだよね、とぼんやり考えた。
両親共、あまり旅行が好きじゃなかったのか、日々の生活で手一杯だったのか
もう聞くすべもないから よくわからないけれど、
新潟の山に囲まれた田舎で生まれ育ち、親戚は皆近くにいて
村から出ることって、農協の慰安旅行とか、村の婦人会の旅行とかで
親たちが夫婦で旅行した記憶はないし、ましてや母が一人で旅にでるなんて考えたこともなく
そんな時代でも環境でもなかったのかもしれない。
両親がまだ健在だった時、四国の徳島に住んでいた姉が
父と母を徳島に招待したときのことを思い出した。
私の兄が新幹線の浦佐駅まで両親を車で送り、二人を上越新幹線に乗せて見送り
私に連絡
兄「今、新幹線に乗った。〇時〇分に東京着。サポートよろしく」
私「はいよ、了解!」
連絡を受けた私は、神奈川の自宅から東京に向かう
東京駅のホームで両親を迎え、駅構内でちょっとお茶を飲んで休憩し
東海道新幹線のホームまで二人を送り、時間通りの新幹線に乗ったことを見届けて、姉に連絡
私「予定通りの新幹線に乗ったよ」
姉「お疲れさん、ありがと」
姉、岡山駅まで父母を迎えに行く。
帰りも同様(;^ω^)
3きょうだいの流れるような連携プレーで、両親は無事 新潟⇔徳島の旅を満喫することができたのでした。
♪♪♪♪♪♪
えっと、話が横道に逸れてしまいました(^^ゞ
Kちゃんの宅の最寄駅で電車を降りると、そこは
私が怯えていたほどの都会ではなく、緩やかな丘陵地帯。
閑静な住宅街の向こうの丘には、柔らかに色づいた木々が生い茂り
とても落ち着いた街だった。
迎えに来てくれたKちゃんと長崎ラーメンを食べ、街を散歩。
近くに、北海道からやってきたコーチャンフォーという大型書店・文具店があり、連れて行ってもらったけど、めちゃ楽しい。うちの近所にもできないかな。
公園を歩き、池でカワセミを見つけて
「カワセミ初めて見た。背中の色がきれいだね」と喜ぶKちゃんは
思ったより元気そうでほっとしたのでした。
公園内のレストランの近くで
「ここは、前によくナナを連れてお昼ご飯食べに行ったんだよ。店のおじさんが犬を連れて入ってもいいよって言ってくれたから。」
現在、そのおじさんは退職されたらしい。
ふーむ、、想像してみた。
日の当たる静かな公園を、小さなトイプードルを連れてゆっくりと散歩し
馴染みのシェフのいるレストランでランチ
「いいなぁ、優雅だね」つい口に出た。
だって、一日中同じ姿勢で仕事して「肩がつりそうだ」なんて身をよじることもなく
癇癪持ちの社長にうんざりする必要もなく。
ゆとりのある日々。羨ましい。
するとKちゃんは
「優雅じゃないよ、ストレスがいっぱいなんだよ」と。
ナナちゃんの病気や高齢(13歳)であることも悲しく
旦那様の日々の言動に怒りを感じるし、鬱で何もできない自分に対しても罪悪感があり
と、胸の内を語ってくれた。
旦那様の日々の言動に怒るというは、わかる気がするな(笑)
と答えると、「そんなときどうしてる?」と聞かれ
はて、どうしてたっけ? どうもしないけど、思い出したことを話してみた
「怒りは二次感情なんだって。その前段階として『悲しい』とか『心配』っていう感情がまずあって、『なぜ私を悲しませるの?、心配させるの?』という思いが怒りを生むらしいよ。んで、その悲しみや心配を見つめることで怒りが静まることもあるのだって。何かで読んで腑に落ちた覚えがあるよ。」
我が夫は自由人のマイペース人間なので、私が怒りを感じるのはたいがい
人の話を聞かない、とか、人の気持ちを考えないという。それって「悲しい」思いなんだと解ったことを、ふと思い出したのだった。
今、自分は悲しいのだ、と思うと不思議と怒りが引いていく気がする。
ああ、そうだった、そうだった。と、話しながら思った。
最近ちょっと、またイライラすることが増えてきた気がするので、思い出せてよかった。怒るって疲れるよね、すごく。
思い出させてくれたKちゃんに感謝。
Kちゃん宅は、コンシェルジュがいるような瀟洒なマンションでびっくり
広いリビングでナナちゃんと会い、ひとしきり遊んだ。
つぶらな瞳でじっと見つめられて、尻尾をフリフリ振られちゃったりする日には
可愛くて、「ナナちゃんはいい子ね~」なんて猫なで声になってしまう(犬だけど)
スンとも吠えない、おとなしい子。こちらも元気そうで一安心。
でも、Kちゃんはまた「ナナが死んじゃったら私もどうなるか分からないから、今のうちにナナを見てもらいたいし、楽しい思い出を作ろうと思って(私に)来てもらったんだ」などとしみじみ言うものだから、少し寂しくなる。
お茶をいただきながら、いろいろお話をした。
「大山に登りたい」というKちゃんに
じゃあ、今度一緒に行こう、江ノ島のロンカフェにもフレンチトースト食べに行こう。麻雀(ゲーム)覚えて遊ぼう、と約束する。
楽しみ いっぱいつくっておこうね。
夕方、帰りの電車の中で、半月と満月の中間くらいの月を眺めながら
私から見れば十分にセレブで恵まれた生活を送っているKちゃんの心配をするって、ちょっとおこがましいんじゃない?と自分に問いかけてみた。
自分の心配したほうがいいよ、私。
でも、そういうことじゃないんだよな、というのもわかるし
彼女と話すことで、私が救われたり気が付いたりすることもあるし。
いずれにせよ、Kちゃんも私も毎日の生活の中で、微笑める時間が少しでも長いといいな
と思ったのでした。