みちべぇの道

道だとか橋だとかが好きで、走ったり歩いたり道に迷ったり

トイレ問題

会社の社長の話です

・・・またかい

度々 自分のとこの社長をブログのネタにしているじゃないか

と、思われるかもしれませんが、

いやいや、好きでネタにしているわけではなく

この社長が、度々 私を驚かせ、混乱させてくれるので

気持ちを整理するためにブログに書いております。はい

 

あ、そしてトイレの話でもあります

あまり気持ちの良い内容ではありません

と、あらかじめ言っておこう (m´・ω・`)m 

 

 

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月曜日、昼食後に女子トイレ内の洗面台で歯を磨いていると

ドアが開いて、社長(70代男性)が入ってきた

( ゚Д゚;) ひっ

一瞬、何が起きたのかわからず、頭の中が白くなりかけたが

なぜか「どうぞ」と洗面台を譲ろうとした。

後から考えると、自分でも意味不明な行動

それくらいパニックだったのだと思う

社長も、私がいたことに驚いたようで「いや 大丈夫」とか言って

逃げて行った

 

社長は何しに女子トイレへ?

 

考えるに

女性トイレは、社長室から一番近いので

ちょっと手を洗いに来たか、観葉植物にあげる水を汲みにきたか。

社長は、会社を自分のものみたいに扱う傾向があるので

女子トイレといえど、自分ちのトイレくらいの感覚で何も考えずに入ったのかな

困ったものだ

だけど、私に見つかってしまったから

もうやらないだろう

このことは、誰にも言わないでいてやろう

と、恩着せがましく思った

 

が、翌々日の夕方

帰り際に、社長が女子トイレから出てくるのを見た

どういうことだ?

社長は女子トイレを使っている?

 

これは黙っていられない

 

私が勤めている会社、現在女性は私と取締役(60代)の二人だけ

金曜の朝、取締約女子に聞いてみた

「社長は女子トイレを使っているんですか?」

「そうよ」あっさり答えられた

 

なんで?

 

社長は、昨年 脳梗塞で倒れ、半身に少し麻痺が残っている

なので、トイレがうまく使えず、便器周りを汚してしまうのだと。

男子トイレで便器の周りを拭いている姿を他の社員に見られたくない

トイレのたびに個室に入るのも恥ずかしい

そんな理由で、社長から「女子トイレ使っていい?」とお願いされ

取締役女史は断れずに許可したのだって

・・・私は聞いてないけど(;一_一)

 

気の毒だとは思うけど

なんだか嫌だ。解せない

 

言われてみれば心当たりはあった

最近、トイレが妙に汚れているので

私は、取締役女史の体調が悪いのかと考えて

密かに心配していたのだった。

実は社長の仕業だったのか

 

この日の昼休み、いつも通りに歯を磨きにトイレに入ると

便器も床も結構汚れていた

会社は清掃業者など入れていないので

社員が掃除するしかない

取締役女史と交代でやるにしても、掃除から逃れる手立てはない

(彼女は、毎日昼休みに家に帰るし、会社一忙しい人なので、私がやることが多くなるんだろうな)

床と便器を拭きながら、気分が悪くなってしまった

床のシミが完全に落ちず、悲しくなった

 

百歩譲って、トイレの共用はしょうがないとしても

自分で汚したものは自分できれいにしてよ

と言いたいけど、要介護寸前の老人にそれを言うのは酷なんだろうな

(社長もたまに掃除しているらしいが不充分)

私、うつわが小さいな、と思う。

修道女のように、愛と慈しみの心をもって掃除をすればいいのだろうけれど

私にはできそうもないや

 

取締役女史がトイレを汚したと思ってたときは彼女の健康を心配したし、トイレ掃除も別に苦じゃなかったのに、それが社長だと知ったとたん気分が悪くなるなんて、やっぱり私は社長のことが好きじゃないんだな。でも誰だって合う合わないはあるよね。でもそういう問題とは別に自分にはホスピタリティの精神が足りないのか。これも仕事だと割り切ってやればいいのか。清掃業者入れてほしいけど無理だろうな。云々かんぬん・・・

 

うだうだと考えて、昨日の深夜、ふと

トイレがかわいそうだ

と思った。

なんだか哀れみを向ける方向が違う気がするが

そう思ってしまったのだから仕方ない。

毎日お世話になっている大切な場所だ

前のようにきれいにしてあげよう(前はきれいに使っていただけだが)

修行僧のように無心になって、修行のつもりで

トイレと自分のために掃除します

と、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう←トイレの神様)に約束したのだった。

 

これができたら、私の小さい器がちょっとだけ大きくなれるだろうか

 

 

今回はトイレの話なので、せめて最後は植物の写真でも。

今日、高尾山で見た ハナイカダ

葉っぱの真ん中に小さい花が乗ってる。面白いし名前もステキ (*^-^*)

 

 

本能の赴くままに

昨日は、ナイトランの朝帰り後お風呂を沸かして入り

朝ごはんを食べて、ヨガレッスンに行きました

 

ヨガのインストラクタ―、kumi先生は、私の整体学校時代の同期生

私より3歳年上の彼女は、整体とアロママッサージ、加えてヨガの先生になるコースをとった頑張り屋さん。

 

ヨガで、背中、股関節、ハム等を気持ちよく伸ばした後

お願いして、脚を中心にオイルマッサージをしてもらいました

 

ぐりぐりと、容赦なく老廃物を流していく

ふくらはぎと足裏が、「ギャー」と叫びたくなるくらい痛い

「イテテテテ (>_<)」

「そうよねぇ、こんなに張ってるもの。痛いよねぇ(*^-^*)」

声が嬉しそうだぞ

手加減なしの施術の後はスッキリして

一晩ゆっくり眠った今朝は、足の痛みゼロ ♪

 

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今日は、いつもの川沿いコースをJOGした

 

昨日の記事で、みやすのんきさんの「大転子ウォーク」の話をしましたが

本に書いてある通りカラダが動かなくても

なんとなく、骨盤とお尻で歩くんだなと意識しただけで

スッスッと足が前に出る気がして楽しく歩ける(気のせいかもしれないけど)

今日、JOGしていると ランニングも同じだなぁ、と感じ

脚で走るのではなくて、骨盤とお尻から起動する重要性を

「なるほどねぇ」と納得しながら走っていたのでした

 

草の匂いを嗅ぎ、風を受けてトコトコ走るのはほんと楽しい

歩くのとはまた違う、体が躍動する感じ

自分の中の野生の血が喜んでいる

もしかして、私の前世はニホンオオカミだったんじゃないか

走れ! 本能の赴くままに!!

などとアホな妄想をしながら、ウキウキと走っていました

 

近くでツツピー、とシジュウカラの鳴き声が聞こえる

見ると、あれ?モズだ

モズがシジュウカラの鳴きまねをしてる

モズは「百舌鳥」と書くくらい、多様な声で鳴くことができるとは聞いていたけど

初めて見た、モズの鳴き真似。

モズが他の鳥の鳴き声を真似るのは、一説によると

「モテるから」なのですと

いろんな芸ができるモズオくんをメスは「素敵💛」と感じて伴侶になってくれるらしい

繁殖時期、鳥の世界も大変ね

 

道端のツツジがとても美しい

 

一本の樹でいろんな色があって、サービス精神満点ね

 

素朴なカモミールも好き

 

よい香りです

 

コースの途中、農家さんの門前で朝採れたタケノコを売っていたので購入。

持って走った(;^ω^)

 

あちこちが、とっても春

 

 

今夜は、タケノコご飯です (#^.^#)

夜歩く

5月の東京エクストリームウォーク100を歩くにあたって

この本を読み返した

 

 

みやすのんき さんの「脅威の大転子ウォーキング」

歩き方の本です

大転子とは足の付け根の骨(大雑把すぎ)で「この大転子を意識して歩きましょう」と、そうすると速く、楽に歩けるのだと。

具体的な歩き方については、文とイラストで丁寧に説明してあり、理屈はなんとなくわかるのですが

アタマで理解しても、身体感覚がついていけないようで

例えば、歩き始めの姿勢で

 

左足を支持脚として説明します。右足が遊脚です。

まず左足の膝を曲げずに立ち、その上に骨盤をしっかり乗せます。(中略)

大転子は緊張させずに緩ませます。(中略)

この状態は、体重を骨で支えているため、左足にはほとんど力を入れずに立つことができるはずです。

 

と、書かれてある通りにやってみるのだが、

足に力が入っちゃうよ

何故だ?

イラストを見ると、すらりした足の女の子が描かれている

私の足は真っ直ぐじゃない(極O脚)から、構造的に力が入るのだろうか。

ちゃんと歩くこと自体が、私には無理なのかなぁ

うーむ (;一_一)

 

だとしても

それでもやりたい

100キロ歩きたいよ

だって、そんなこと言ってたら何もできない

世の中に、完璧なカラダを持っている人はどれほどいるんだ。

自分のできる範囲で、工夫して準備して

ダメもとでいいからやってみよう

今より少しだけでいいから、強くなりたい

 

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100キロ、制限時間は26時間

昼も夜も歩くのだから、夜歩く練習をしたほうがいいかな、と思い

昨夜から今朝にかけて、国道一号線を小田原城まで歩いてきました

今回は、ナイトウォークなので夫にも付き合ってもらった

 

夜8時半出発

半袖Tシャツにウィンドブレーカー

エストバッグの上に乗せるようにサロモンのリュックを背負い

荷物の重さが肩だけにかからないように分散させた。

この方法は、肩は楽だけど、お腹が圧迫されたためか

10キロ地点あたりで、ちょっと具合が悪くなりかけた

胃痛と冷や汗

ウェストバッグのベルトを少し緩め、ウエストに着けたボトルホルダーに入れた600ccのお茶のボトルをリュックに移して歩いたらだいぶ楽になり

その後、稲荷寿司を食べたら元気になった(空腹は大敵)

 

深夜0時、大磯プリンスホテル近くのセブンイレブンの前を通過

湘南マラソンの日の朝、ここをランナーたちとゾロゾロ歩いたなぁ

などと、夫とぽつりぽつりと話しながら、深夜の国道を歩き

小田原城に到着

 

午前3時の小田原城御門 ここまで32km

 

帰りは、空が少しずつ明るくなる様子を見ながら来た道を戻り

国府津から電車に乗って帰宅した(ヨガ教室があるため)

40キロくらい歩きました。

 

夫と、どうでもいい話をしながらの歩きは、やっぱり楽だった。

一緒に歩く仲間がいると時間が経つのが早く感じる。

夫くん、付き合ってくれてありがとう

が、

今回の東京エクストリームウォーク100は、独りで参加の女性同士をマッチングして、二人で歩ける、というサービスがあるが、私は希望しなかった。

初対面の人と話すのは苦手、というのもあるけれど

やっぱり一人で歩かなきゃ、と思った

自分が歩くんだから、自分で歩こう

 

・・・眠くて、書いてることが支離滅裂になってきました (;^ω^)

今日は早く寝よ

 

 

反復とジハード

岩下悠子の「漣(さざなみ)の王国」を読みました。

 

 

読後は、いろんな思いが頭の中をぐるぐる回って

まだ、まとめきれていないのですが

物語のキーワードの1つである「反復」という言葉の意味するところが

なんだか沁みたので、そこのところを書いておこうと思います。

 

物語の内容を説明すると冗長になるので省くとして

唐突に、

わたし(朝子)の友人 ライラが、同じ寮に住む水泳部の瑛子について語った言葉を引用してみよう

 

「(瑛子は)同じ寮に住んでいる学生です。とっても立派な人です。わたしが明け方の祈りを終える頃、彼女は水泳部の練習のために出発します」

「わたしには分かります。彼女は自分にジハードを課しているのだと」

「ジハードは本来、最大の努力という意味です。他者と戦うことではなく、自分自身と戦うこと。自分を正しく作り上げる行為こそが、真のジハードなのです」

 

瑛子は日々熱心に練習する人で

早朝も夕方も、誰もいないプールを何度も何度も往復する

求道者のように泳ぐ人

 

ライラは、敬虔なイスラム教徒

毎日、祈りをささげるライラだからこそ、瑛子のジハードがわかるのだろうか。

「泳ぐ」「祈る」はどちらも反復で、反復することがその人を作り上げる、という言葉にとても共感、というか、そうだったらいいな、と思った。

 

朝子は、ライラの言葉を聞いて、小さな願いを持つ

「わたしにも何かないだろうか」

 

さっき垣間見たライラの祈祷のごとく、日々無心に、懸命に打ち込める習慣が、自分にも何かないものだろうか。信仰でなくてもいいのだ。崇高な行為でなくてもいい。ただ、どれほど内面が荒廃している時も、どれほど自分が無価値に思える時も、精神の状態とは一切関係なしに、ひたすら重ね続けていける強靭な日課。そういうものが何か欲しい。朝に夕にひたすら反復することで、魂を整え、わたしを少しだけましなものに変えていく、ささやかな修練(トレーニング)。わたしだけのジハード。

 

走るのもブログを書くことも反復だよね。

じゃあ、私はジハードを持っている?

 

へなちょこなランナーもどきではあるけれど、走ることは「強靭な日課」なのだと思う(何度変換しても「狂人な日課」って出るのはなぜ?)

内面が荒廃しているときは、内面が荒廃している走り方になってしまうけど

走ることをしていなければ、今とは違う性格になっていた気がする(もっと陰鬱になってた、今でもじゅうぶん陰鬱だけどちょっとは まし)

 

ブログを書くという反復も

何度も書くことで、アタマの体幹を鍛えて(なんじゃそりゃ)安定した自分になっていけたらいいな、と思う。

少しでもましなものに、なっていきたいよ、ほんと。

 

この小説は、朝子もライラも瑛子もその他の登場人物も、内面にヒリヒリしたものを持っていて、その痛みが何とも切ないのです。切ないけど幸せなんだろうなぁ。

反復って大事だな

 

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ということで、今日も同じ動作の反復、ひたすら歩いてきました

本番と同じリュックを背負い、同じシューズで

秦野の戸川公園まで往復。

コースの7割くらいが川沿い(渋田川、金目川水無川)で

 

桜の花がほろほろと散る中を歩きました

 

水無川。こちらがわの岸が枝垂桜、向こう側がソメイヨシノ

セグロセキレイがとても良い声でさえずってた

 

戸川公園に到着と同時に雨がぽつぽつと

 

桂の木の丸い若葉が生き生きしてた

 

チューリップっていろんな色があるのね

 

雨が降っているので座ってお昼を食べる気にならず

歩きながらおにぎりを食べ食べ帰ってきました(お行儀悪し)

 

朝5時から夕方5時まで、12時間で60キロ歩いた

が、今日は余裕なかったなぁ

50キロくらいまでは順調だったが、その後貧血みたいに冷や汗が出て

パンを食べたら少し持ち直したけど、いや~な感じがしました。

休憩とか補給食の摂り方とか、もう少し考えなきゃ

難しい (;一_一)

 

 

今年も走った桃の里マラソン

4月7日 日曜日、山梨の笛吹市桃の里マラソンを走ってきました。

 

今年は、お彼岸を過ぎても暖かくならず、桃の開花は例年より10日ほど遅れるという話もあり

桃の花のないマラソン大会になるのかな、と半ば諦めていたのですが

ここ1週間の暖かさで、どんどん花開いたようで、日曜日は

 

ちょうど見ごろ (*^▽^*)v 桃の花よ、よく頑張った。

 

お天気も、1週間前の予報は曇り時々雨だったのが

当日は、遠くの山脈が見られるくらいよく晴れました

できすぎ君

 

雪の南アルプスを見ながら走れる喜び (*^-^*)

 

 

この大会は、参加賞を選べる。

Tシャツかワインか、どっちがいい?

 

そりゃ、ワインよね

白にしました

 

今年は、笛吹市市制施行20周年ということで、記念のタオルもいただきました。

 

洗濯したのでシワってる (;^ω^)

右のキャラは鳥? FUKKI? 聞いたことないけど、、

頭がボサボサだからヒヨドリだろうか

 

ボクは笛吹市の鳥、オオルリをモチーフにしたキャラ、フッキー君です!よろしくねっ

え”? オオルリ

・・・らしいです(笛吹市のHPで紹介されてた)

オオルリというより、マカロニほうれん荘の きんどーさんに似てる(古すぎて たぶん誰も知らない)

 

似てないわよ あたしはきんどーちゃん

 

 

はい。ということで9時半スタート

スタート台の上の福士加代子さんに手を振ってGO!

 

町の中をトコトコ走る

走るにはちょっと(かなり)暑いけど

日向ぼっこがてら応援してくれる人たちにとっては気持ちの良い陽気だね

家の前で、椅子に座ってニコニコと手を振るお年寄りも

親に言われて恥ずかしそうに手を差し出してハイタッチしてくれる小さい子も

心和む光景です

 

町を抜けて桃畑の中の農道を走り、川岸を通って

7キロ地点くらいから上り坂に入る

上って上って更に上る。6km続く上り坂

急坂の一番きつい場所に、観光桃園があり

美しい花園が迎えてくれ、折れそうなココロを支えてくれる

毎年「わー、きれい」って元気になるんだよね

だから、この坂はちょっと楽しみでもあるけれど

やっぱりきつい。ヒー *1

 

これは、当日朝に撮った釈迦堂の桃園の写真ですが、イメージとしてはこれをもっと華やかにした感じ(レース中は写真を撮る余裕などないです)

花々に励まされて急坂を上り切ると

そこからは緩やかな上り坂

まだ、上りは続くのだ くーっ ( ;∀;)

でもね、昨年は坂のてっぺんのエイドにがあったのだ

今年もきっとあるよね。苺が食べられる、苺、苺♪

がんばれ、苺までもう少しだ!

 

しかし、頑張ったけど、今年は苺 なかった。

3センチくらいにカットしたバナナがあるばかり

なんで? 笛吹市、市制20周年記念でしょ

苺ぉぉぉ (´;ω;`)ウゥゥ

もしかして、あのヒヨドリのタオル(オオルリだってば)を作ったから

予算がなくなってしまったのか?

フッキー君より苺がいい(こら)

でも、バナナもありがたかったです。

 

エイドを過ぎて

丘の上から見下ろせば

眼下に広がる桃源郷。町全体がピンクに染まっている

 

そして、坂を駆け下り、再び町の中に入って

ゴールの2キロ手前からの、トドメの上り道で力尽きながらも

どうにかゴール

 

 

最近、100キロウォークのことばかり考え、まとまった時間があれば歩いていて、長い距離を走る練習をしていなかったけど、

練習不足の割にはよく走ったよ、偉いぞ自分

 

自分に極甘 (;^ω^)

 

でも、この桃の里マラソンのコースはきついけど好きだから。

願わくば最後の坂も、力尽きることなく楽しく走りたかったな

来年への課題としよう(練習しろってこと)

 

自分に甘いついでに、

 

甘く冷たい 桃パフェを食べて帰りました

 

花も実も、桃を堪能致しました

楽しくて美味しかった \(*^▽^*)/

 

*1:×_×

小雨花見ラン/ブログを書くこと

雨が止むのを待って、昼過ぎに走りに出かけました

今日も相模川

先週は、桜はほとんど咲いていなかったけれど

今週はどうかな

 

倉見駅近くの遊歩道の桜

 

咲いている。けど誰もいない

わーい、独り占め (^^♪ 

曇りの日の桜は、大人の女性な感じだよね

ひっそりと落ち着いていて朗らかだ

 

トコトコ走って、戸沢橋を渡り相模川を下る

土手の桜並木も、薄桃色の花びらがふわりと咲いていた

細かな雨がまた振りだしていたが

走っても走っても桜の花咲く道を

シジュウカラの「ツツピー」の声を聞きながら

霧雨をうけて走った

 

神川橋を渡って一旦ゴール

運動公園を小雨散歩

雨の中の植物を見るのが好き

 

クローバーの葉についた雨粒が、曇天の白い光を反射して

氷のようにきれいなんだけど、やっぱりうまく写真に撮れず ( ;∀;)

 

ボケ。なんで「ボケ」っていう名前なんだろう

可憐で優美なお姫様みたいなのにね

 

池に写る桜、ゆらゆら

 

小雨のランと散歩もまた楽し (*^-^*)

 

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てなことを、飽きもせず いつもブログに書いているのですが

なんで書いているのかというと・・・

えっと、好きだから。

文章を書くのは子供の頃から好きでした。

 

んで、好きなことを書いて、それを読んでくださる方が、クスっと笑ってくれればもう幸せ💛なのです。

読んでいただくからには、やっぱり伝える努力も必要で

自分の書いたモノをこねくり回して、いろいろと表現を変えてみたりしているのですが

 

いつからか、私が文章を書くのは、読んでもらって嬉しい以上の自分に対する目的もあるのかも、と思うようになりました。

 

 

以前読んだ、歌人枡野浩一の言葉が常に私のどこかにありまして

それは、短歌を作る人への提言(?)なのですが

「人としてつまんない作者からは、つまんない歌しかうまれない」

めっちゃ根本的なところだけど、そりゃそうだよね、と思う。

伝える技術も、語彙力も大切だけど、基本はそこなんだよなぁ。

結局、つまらない私はつまらない文章しか書けないのかと

軽く絶望した。

 

でも、人としてつまんなくない人ってどんな人よ、と考えると

発想力とか、観察眼とか、、

同じものを見ても、そこに輝いているものや深い闇を見たりする人なのかな。

優れた歌人は、ポカリスエット自動販売機も、バスの降車ブザーも

世界の色が変わるような短歌にしてしまうから

 

それってもちろん才能もあるけど、ある程度訓練というか習慣によっても身に着くものもあるのではないかと思いまして。

普段 見過ごしてしまうも、気を付けてジロジロと観察して、できるだけ楽しい文に残すことで

周りの美しさや奥深さに気付くことができるかも

気付け、気付け、気付けよ自分!

自分に念じている

 

面白い文章を書きたいと思う根底には

面白さを感じることのできる人間になりたい、っていう願いがあったのだと気がつきました。

これからも、そんな思いでブログを書いていくんだろうなぁ、って思います。

 

難しいですけどね

目下、修行中 (*^^)v

 

 

花畑で出会った人

今年になって初めて半袖で走りに出た

今日も山は霞んでいる

気温は高いが、風が涼しく

半袖の気持ち良さを味わいながら、今日は相模川に向かった。

 

途中、チューリップや水仙ネモフィラが咲き広がっている畑で足を止めた

赤いチューリップは満開、水仙はいろいろな種類が植えられ、黄色のバリエーションが目に鮮やかだ。ネモフィラ青い花のと、白地に紫の丸い模様のある花(マクラータという種類らしい)が混ざっていて可愛らしい。

綺麗だな と、見ていると、畑仕事をしていた女性が話しかけてきた

70代後半くらいかな、白髪の人

「今年は、急に暖かくなったから、チューリップの茎が短いうちに花が咲いちゃったのよ」

なるほど、言われてみれば、いつもの年より おチビさんのチューリップが並んでる。

寒いと思ってたら突然気温が上がって、チューリップが慌てて「大変!咲かなきゃ」と花を広げた様子を想像すると、ちょっと可笑しい。

 

更に女性は、畑の一画を指さして

「ここにマリーゴールドを植えたから、そのうち咲くわよ」

 楽しみですね

「私はもう世話ができないから、見られないけどね」

 どういうことだろう、ご高齢だから?

 でも、お元気そうだ

「すい臓がんの末期だから」と、何でもないようことのように続ける

 胸が詰まるような悲しさをおぼえた。初対面なのに

 

世の中、ままならないことだらけだよね

でも、この女性は「花が好きだし、誰かに喜んでもらえるのが嬉しいから」と

畑作業を続けてきたという

今を生きている。すごいな

淋しさと尊敬の念と、両方を大事に抱いて、その人と別れた。

 

相模大堰まで往復jogしました

 

霞む山は、いかにも「春」って感じ

 

ツバメが飛んでた

エナガが何かの羽根をくわえて、枝から枝へ忙し気に飛び交っている

巣作りの真っ最中だね

 

生きることと死ぬことは同じこと、ってどこかで聞いたけど

わかるようでわからない

 

それにしても

いろいろな出来事をそのまま受け入れて、落ち着いて淡々と過ごすことができることを老成というのなら、私もその域に達したいと思うけれど

まだまだだなぁ

 

 

マリーゴールドが咲くころに、また見に行きます