みちべぇの道

道だとか橋だとかが好きで、走ったり歩いたり道に迷ったり

見えない連れ

メイもんさんのブログで、「へぎ蕎麦」を召し上がったとの記述を読ませていただき

meymon.hatenablog.com

 

うんうん、へぎ蕎麦、美味しいですよね~♪ 私も大好き。と、うなずき

新潟の実家の近くにも「小松屋」という、へぎ蕎麦屋があるのよね。などと思い出していると、十数年前の冬に そのお店に行った時の記憶がよみがえってきました。

昔話です (;^ω^)

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実家の母が手術をしたと連絡を受け、週末、お見舞いに行った。

母の病状が気掛りではあるが、一人旅は解放感と少し心浮き立つ心地よさがある。

面会時間は15時からというので、正午過ぎの新幹線に乗り、浦佐で在来線に乗り換え、小出駅からは小雪の舞う中を歩いて病院に向かった。

退院間近だという母は、私の見舞いをとても喜んだ。今回の病気の腹痛が相当凄まじいものであったことを切々と語り、手術の傷を「ほら、スゴイろ(魚沼弁、すごいだろうの意)」と見せた(-_-;)。元気な様子に安心した。

病人を疲れさせるのはよくないので1時間くらいで帰ろうかと思っていたのだが、母が思いの他元気なことに甘え、結構長い時間病室にいた。

外に出ると夜になっていた。雪はまだチラチラ降っている。

 

雪の中の国道を実家に向かって歩き始めた。

田舎の夜道は真っ暗だと思っていたが、道路の両脇に積もった雪の白さと、舞降る小雪がほんのり辺りを明るくしている。 お腹空いた。どこかで夕飯食べていこう。

国道沿いに、落ち着いた店構えの和風建築が見えた。玄関の灯りが暖かい。

松屋さんだ。ここで へぎ蕎麦食べよう。店に入ると閉店間際なのか私の他に客はいなかった。バイトと思われる若い店員が出迎えてくれた。

 

へぎ蕎麦とビールを注文すると、店員「グラスはいくつお持ちしましょうか」と聞いてきた。

へっ?

私、一人だよね? 思わず周りを見回す。もちろん誰もいない。「ひとつ」と答えるが、「ふたつ」と言ったら二つ持ってきたのだろうか?

「私、お店に誰かと一緒に入って来ました?」とは聞けなかった。「ほら、そこにいるじゃないですか」とか言われたら更に混乱するだろうから。

病院から誰か連れてきちゃったかな? 母じゃないな、元気だったし、母はそういう人じゃない(どういう人?)。

 

娘に借りた「観えるんです」という漫画の作者は、実際に霊的なものが見えるというが、私は見たことがない。信じていないわけではないが、そんなに怖がらないようにしている。

霊的な「生きていない者」も以前は生きていた普通の人だったわけで、死んだからといって怖がるのは、その人に失礼なんじゃないかと、いつの頃からか思うようになった。私が死んだ後、娘に会いに行って「きゃー」と怖がられたら悲しい。生きていても死んでいても私は私だよ。

知らない人が近くにずっといたら、それはまた別の意味で怖いけれど、その人は私に何か言いたいのかもしれない。聞ける耳を持ってなくてゴメンね。なんてことを考えながら蕎麦をたぐり、ビールを飲んだ。

 

たぶん、店員さん、瓶ビールを私のようなおばさんが一人で飲むと思わなくて、後から誰か来るのかと予想しての「グラスはいくつ?」発言だったのかもね。

おばさんでも飲みたいときはビールを飲む。私の新潟の友だちは、あの人もこの人も蟒蛇(うわばみ)みたいに飲む (;^ω^)。そしてケロッとして翌日はよく働く、尊敬する人たちです。