新聞に投稿したら、掲載したいと電話が掛かってきた。
「ただ、文字数が多いので少し削らせていただきました。編集後の文をメールで送りますので、直しや間違いがありましたら教えてください。」と。
「投稿記事は500字くらい」とあったが、私は自分で削りに削って600字より減らせなかった。明らかに字数オーバー、編集者の手を煩わせてしまった。だってこれ以上短くしたら意図が通じない(T_T)。
編集された文章を読んで、
あらまぁ、あらまぁ、あらあらまぁ
これは、あらすじか? ってくらい短くなっていた(;^ω^)
12字×32行で納めたいとのことで…384字に、500字でもないじゃん。40%削除。
この内容で伝わるのかしら?
コンパクトにまとめてくれているが、読めば読むほど、あちらもこちらも直したくなる。でも、12字×32行には入らないよ、うーん( ;∀;) 唸りながら少し手直しをして送った。
決められた文字数内で気持ちを伝えるって難しいですね。
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投稿はカットされ過ぎて意味不明(^-^; なこともあり、その時の気持ちと言いたかったことをダラダラと書いておきます。
数日前の新聞投稿欄に、私と同年の女性が「職場での人間関係に悩んでいる。人の言葉に傷つき、自分も相手を傷つけてしまっている。還暦を前に私は何をやっているんだろう」という内容の投稿を寄せていた。
そうか、大変だね。私は、人間関係というより人間が苦手で悩んでいるよ、と自分のことを書いて「お返事」してみようと思い立った。
昨年からブログを書いていて何となく気付いたことがある。
私のように劣等感の強い人間は、自分のできないことに焦点を当てすぎている。そして、そのできないことがあるから、自分はダメな人間だと思い込んでいる。
人とうまく話せない、それさえなければ私はもっと伸び伸びと楽しく生きられたはず。全てのことがもっとうまくいっていたはず、みたいな。
でもね、肝心なのはそこじゃない。
できない=自分は価値がない、と悩むよりもっと大切なことがある気がする。
ドストエフスキー研究者の亀山氏が、「志があるから人は傷つく」と言ってた。
投稿者の方は、人との関係をうまく築きたいがために悩んでいるのだろう。その志は大切と思うが、もうそこから目を離して楽になっても、きっと許される。だって何十年も悩んで、克服しようと努力してきたのだもの。できない自分は置いといて、できることを頑張ってみるのが楽しいと思う。
志。私の志って何だろう、考えると、よくわからないが、困っている人の力になれたら嬉しいかも。苦手といっても、やはり人と共に生きたいのだと最近薄々気づきつつある。共に生きたいから、うまくできないと挫けるは投稿者の方と一緒ね(^_^)。
では、自分に何ができるか、対人は苦手だけど文章を書くことは嫌いじゃない。ならば誰かのために書いてみよう、へなちょこな私だからこそ元気付けられるかもしれないし、と勇気を出して投稿したのでした。
できることをやればいい、簡単なところから。
毎日ご飯を作り、家事を(テキトーに)やり、機嫌良くいれば夫のためになる。
そんなことだけど大切なことだよね。そうやって少しずつ こつこつと日々を積み重ねていけば、いつか、自分も頑張って生きたきたよね、と思える日が来る、に違いない。