みちべぇの道

道だとか橋だとかが好きで、走ったり歩いたり道に迷ったり

モノには名前があるということ

原田マハの「奇跡の人」を読んだ。

 

 

図書館で冒頭を少し読んだが、明治初期の津軽が舞台なので、ヘレン・ケラーの話とは別物と思って借りた。

しかし、読んでいくうちに、あの「奇跡の人」の日本版だと解った。

1歳の時に病気で視力と聴力を失った少女❝介良(けら)れん❞と、アメリカで学んだ女性教師の❝去場 案(さりば あん)❞の織り成す奇跡の物語。主人公たちの名前が原作のパロディーみたいで笑ったが、内容は至って真面目だ。

 

れんの教育に行き詰った去場先生はある人に「れんの目は、耳は、口はどこにあるのかもう一度考えよ」と言われ答えを探す。そして、れんの目、耳、口は彼女の手にあると気付き、指文字によって言葉の存在を思い出させる。すべてのものには名前があるのよ、れん。

 

話は少し変わるが、以前NHKの「ヒューマニエンス」(だと思った)という番組で、盲目の人が自分の口で「ツッツッ」と舌打ちのような音を出し、その音の反響で周りの壁やモノの位置や大きさがわかるという、驚くべき能力が紹介されていた。その人は見えているように普通に歩く。

人間は一つの機能を失うと、別の機能が発達し、超能力?と思うような考えも及ばない力を発揮するらしい。

 

視力と聴力を失ったれんは、残った嗅覚や皮膚感覚で周りの様子や、人の感情までをも感知できたのかも知れない。でも、言葉のやりとりは「手」でしかできない。

視力、聴力を失う前に覚えた言葉を、手(指文字)によって思い出し、その後も手で言葉を覚え、思索を深めていく、れんはまさに奇跡の人だが、「言葉」「物の名前」の存在そのものも、とても素晴らしいものだと思った。

言葉は、いろいろなモノや事象や風景と繋がっている。

鳥や花の名前を知れば、家にいても夜でも寝ていても、名前からそのモノを思うことができ、そのモノと共にいることができる。

 

なんてことを考えながら河原を散歩していた。

 

雑草が生い茂る原っぱ、これを八重葎(やえむぐら)というの?

夏草、夢のあと、山河あり、風になびく

モノを言葉に置き換え、その言葉の一つ一つに思いを馳せる。

 

この頃、知らない言葉(やモノの名前)がまだまだたくさんあるな、と思う。(知らない事の方が多い)

「好きだなぁ」と思う言葉を少しずつ覚えて(すぐ忘れるけど)、ほんとにお婆さんになって病の床にあっても、覚えた言葉からいろいろなモノを思い、ニヤニヤするのも楽しいかな、と思う。