みちべぇの道

道だとか橋だとかが好きで、走ったり歩いたり道に迷ったり

タブーな話なのかも

この頃また、ニュースやネットで統一教会の社会性について問われている。いや、問われているのではなく、社会性に難ありだから、いろいろと問題になっているのかな。

この話題を目にする度に、気持ちがザワザワする。

 

Mさんが統一教会の信者になったのは、たぶんもう三十数年前、彼女は20代だった。入信の理由はわからないが、看護師の彼女は、仕事柄、人の生死に関わりを持つこともあり、いろいろと悩みもあったのだと思う。

その頃私は、Mさんに誘われるまま、何も考えずに東京の統一教会関係の催し物に連れて行かれたり、教会の関連企業が売っている高麗人参入りのコーラをもらったりしたことが何回かある。彼女は直接私を勧誘するようなことはなかったが、私が教会に興味を示すのを待っていたのかも知れない。自分の信じる教えを知って欲しかったのかも。私は、新宗教にはアレルギーがあったので、気持ちが教会に傾くことはなかった。

私は信仰には関心がなかったが、彼女がその宗教で救われ、幸せになるのであれば、それは良いことだ、と思っていた。今でもその考えは変わっていない。

 

Mさんが、合同結婚式で面識のない相手と結婚するという話があったとき、周りはちょっとした騒ぎになった。「統一教会は若い人を監禁して洗脳し、信者にするらしい」「霊感商法もやらされるらしい」「〇〇さんの娘さんは、家族が無理やり連れ戻したらしい」。「らしい」が飛び交い、Mさんの家族も、どうしたらMさんを脱会させることができるかと話し合ったが、その後、一時Mさんの行方がわからなくなったりし、結局脱会させることはできなかった。

彼女は合同結婚式で祝福を受けた。

結婚後、Mさん夫妻は私と同県に住み、子どもが生まれ、私はたびたび遊びに行った。子育てに追われ大変そうだったが、わちゃわちゃと賑やかな家庭だった。

その後、旦那様の転勤などありMさん家族は遠くに引っ越して行き、すっかり疎遠になってしまった。数年前、実家の母が亡くなった頃、Mさんから連絡があり、「1年に1回くらいは会おうよ」と言われ、それからは、度々会っている。

 

Mさんと話したり、彼女の行動を見ていると、何というか、明るい。あっけらかんとしている。そして、家族に対する愛を感じる。旦那様も幸せそうだし、子供たちも皆良い子だ。私なんぞより余程、良き妻、良き嫁、良き母だ。もはやレベルが違う感じ。尊敬する。

数々の人生経験を経て人間的に成長したのか、統一教会が彼女を育てたのか、その両方だろうか。

もともと愛情深い人だったのか、愛情深い人になりたくて信仰者になったのか。昔から彼女を見ている私は、Mさんの優しいところも、意地悪なところも、一途なところも知っている、つもりでいたが、実は彼女の本質的なところを少しも知らなかったし、解ろうともしなかったのだな。だから今、彼女を思うと気持ちがザワザワする。

そりゃ、他者を解ろうなんて無理だってことは知ってる。でも、解ろうとしてみたい。

 

Mさんを見ていると、統一教会のどこが社会的に問題なの?と思う。洗脳?霊感商法

知りたくて、脱会者の書いた本を読んでみた。仲正昌樹著「統一教会と私」

洗脳については、厳しい研修はあるが「洗脳」とは違うと、著者は言っている。では、なぜ信者になるのか。教会の指導者は、悩んでいる人の「話を聞いて欲しい」欲求に答えてくれる、とある。

自分の悩みを他人に聞いてもらうということは、自分の持っている悩みには「意味」があるということを確認する作業でもある。「あなたが悩んでいることは、けっして無意味ではありませんよ。その悩みは、人が誰しも抱えている△△という普遍的問題に起因するものです。偉人の□□もそれで悩みました……」と誰かにいってもらうと、ほっとする。(中略)

話を聞いてもらって、悩みを「克服」した(?)自分が、今度は他人に説教したり、悩みを聞いてやることにより、自分自身をより安心させようとする。

こうやって悩みを聞いてくれる人がいて、自分を受け入れてくれる居場所がある、というのが人には必要なんだろうな。悩みが深ければ深いほど、身近な人には相談できなかったりするものね。そこから教義の世界に入っていくのだろうか。

 

では「霊感商法」は?

これは「万物復帰という物売り」というタイトルで説明されている。

この堕落した世の中にある万物は、もとは神のものであり、その万物のなかで、もっとも人が執着するお金を、モノを売ることで回収し、それを献金することで、万物を象徴的に神の元に復帰する。実際に売っているのは高価な壺などは少数で、珍味などが多い。モノを買った側も救われるという考えらしい。

ふむふむ、仏教に「喜捨」という言葉があり、献金をすることで徳を積む、また物事に囚われず、手放すところに安楽がある、ということも言われているので、少しはわかる気もする。教義はわかるが、教団は教義を利用して金儲けしている、とヒネクレ者の私は思う。

相手を騙して高額なモノを売りつけることは反社会的行為だが、信者は皆良かれと思ってやっているのだろう。お金は世の中を良くするために使われるし、買った人も救われる、自分の徳にもなる、winwinwinだ、と。

でも、でも、、、それでいい? 本当にそう思っている? Mさんも物売りをしたのだろうか。

 

今、いろいろと騒がれていて、霊感商法の相談窓口なども開かれていて、このことをMさんや旦那様、そして子供たちはどう思っているのだろう。

昨年、Mさんに会ったとき、彼女は相変わらずの様子ではあったが、その頑張りに磨きがかかり、それ故に少し辛そうに見えた。

私が心配することは、彼女にとっては心外で失礼なのかもしれないが。

我慢して、頑張り過ぎて病気にならないでね、と心から思う。愚痴くらいなら聞くよ(それくらいしかできない)