「佐藤と桜井の家は、節分で豆を撒く必要がない
なぜかというと、ご先祖様が鬼退治をしたから」
私が育った村ではそんな言い伝えがあった。
我が家も豆撒きをしない家だった。
両親らは面倒な手間がかからないので、良き言い伝えだと思っていただろうな(今ならわかる)
家では豆は撒かなかったが、毎年節分の夜は、近所の家の豆撒きに参加した
子どもは よその家の豆撒きにお呼ばれする風習があったようだ
オラが村の豆撒きは
座敷にゴザを敷いて、その周りを子どもたちが囲み
家のお父さんがゴザに向かって
升に入れた豆や飴や、家によってはチョコなども撒く
大豆を撒く家もあれば、殻付き落花生を撒く家もあった
子どもたちはそれをかき集めて、袋に入れて持って帰る
という、単におやつをもらいに行っただけ風な
トリックオアトリート的な(?)行事であった。
長じて、ご先祖様が鬼退治をした家を脱し
豆撒きをしたければできる姓になったとき
最初のうちは物珍しさと、大声を出して何かを投げつける爽快感(ストレス発散ともいう)、それと子どもと鬼ごっこ感覚の豆撒きも楽しく、豆撒きをしていた。
しかし、あるときふと思った。
・食べ物を投げるのって良くないよね
・誰かにモノを投げつけるのは酷いよ
年齢を経るごとに、自分の中に鬼や邪を感じるようになり
それもまた自分と思うと、無下に否定したり排除するのは忍びない気もし
「鬼も我なり、受け入れよ」
と、半眼で呟く。
豆を撒くと後片付けが結構大変だし(これが一番の本心)
豆撒きをしなくなった。
さて、今日は節分
そして私はお休みの日 ♪
ホントは遠出ランをしたいと持ったのだけれど
天気はイマイチ、風も強いので
目久尻川沿いを17キロ走り
その後、寒川神社の節分祭に寄ってみた
27年この町に住んでいるけど、寒川神社の節分祭に行ったのは初めて
タウンニュースによると、福豆と記念品がもらえるという
参道には多くの人が行列をつくっていた
まあ、ちょっと並んでみるか
あまりに時間がかかりそうだったら帰ればいいや
と、最後尾についた
列は動いて止まり動いて止まり。
隣に並んだおじさんが参道の樹を見て
「へぇ、天皇陛下即位三十年記念の桜だって、すごいね」
と話しかけてくる。何がすごいんだと思いつつ
「なるほど」とわけのわからない返答をしてやり過ごし
境内入口で豆をもらった
「福豆の中に紙が入っているので、中の数字を確認してください」
と言われたが、袋はしっかりテープで封じられており、私は手がすっかり冷えて かじかんでいるので指に力が入らない。
えいっとテープをはがしたら、袋に穴があいて中の豆が転がり出た。
地面に落ちた豆には、ごめんよと謝り
手にこぼれた豆は口に入れて紙を見ると、「15」と書いてある。
15番の受取所で受け取った記念品は
指又むれ防止!
足むれ解消!
5本指靴下
・・・神社に寄付してくださった業者さんには申し訳ないんですけど
記念品って、干支の置物とか、節分っぽい手ぬぐいとかを想像していまして
まぁ、勝手に想像してただけなんですがね。
いや、5本指靴下も有難い!夫にあげよう。
記念品を持って境内を見ると、ん? 何もない
境内での櫓上の豆撒き神事は今年も中止だそうです。
何しに行ったんだろう私。(タウンニュースには中止って書いてなかった、と思う)
家に帰ると、門扉の横に何やら置いてあった。
小さな人形
太い糸をぐるぐる巻いて作った、たぶん何かの魔除け人形
家の前の道路に落ちていたのは、3~4日前から知っていた
落とした人が探しに来るかも、としばらく放置していたが、来なかったね。
かなり汚れている。捨てるのは簡単だけど、、
家に持ち帰って、台所の洗剤でモニモニ洗った。
ちょっと愛嬌のある顔じゃない?
魔は除けなくていいから、一緒に暮らすかい
綺麗にしてあげると情が移っちゃうのよね
と、パソコンの横に置いた人形を眺めながら
いただいた福豆をポリポリと食べているのだった。