みちべぇの道

道だとか橋だとかが好きで、走ったり歩いたり道に迷ったり

白露を探しに_続き

昨日のブログで

「白露は、9月8日だけという説と、秋分の日までの期間が白露という説と、両方あるみたい。」

と書いたのですが、間違っていました (@_@。アワアワ

昨夜、ネットの記事をつらつらと読んでいたら

 

二十四節気には、その日限定のもの

 例:立春春分秋分夏至冬至 と

そこから始まる期間を示すもの

 例:啓蟄、雨水、寒露霜降

があって、白露は期間(季節)を示す言葉である

 

とありました。

・・・無知を晒してしまった (;^_^A

って、考えてみれば そりゃそうだよなと思うことで

何年生きてんのよ私、たまには頭使いなさいよ

自分を叱咤する(でも、すぐ忘れる)

 

ということで、9月8日から秋分までが白露の

そして今日は晴天 \(^o^)/ 白露日和じゃない?←なんだそれ

 

折しも

夜明け前の川沿いには、朝靄が降り

 

良い感じ(わかりにくい?真ん中あたりの白いモヤモヤが靄です)

さぞや草は露まみれであろうと期待する

 

陽が上ってきた

道端の葉たちは

 

細かな朝露で覆われている

やっぱり昨日の雨粒とは違うな。

 

足元の小さな葉っぱ

 

小さな葉っぱに、もっと小さな水滴がたくさんついていて、全体が白く光っていた。

 

そう、草全体が白で覆われ

 

うまく写真が撮れてないけれど、、キラキラではなくシン…と地味に光ってた

 

白く光る草を見ながら走っていると、ふと

ああ、私、この景色を知っている

この空気も、草の表情も

夏の終わりはこんな感じだ、と思った、というより思い出した。

たぶん、もう何回も何十年も、自分では意識しないままに白露の季節を見て来たのだ

なので、深層にある蓄積されたビジュアルが呼び起されて

感覚で理解したのかもしれない(うまく言えない)

わざわざ見に来なくても、知ってたんだ

 

人の感覚とは不思議なものです

白露を探しに行って、「また会えたね」と白露に言われて

嬉しいような、懐かしいような、申し訳ないような気持ちになったのでした。

 

二十四節気って、そういうものかもしれませんね。日本人の生活に浸透していて、ことさら探しに行かなくても、私たちはそれを見ているよ、って。

 

 

まだまだ暑い日は続くようだけど、夏は少しずつ薄くなっていく

スズメたちの群れは日ごとに数を増し

田んぼあたりで子育てをしていたサギやカモは

ちょこちょこと川に戻ってきている

モズが木の上で尾っぽをブンブン回しながらギチギチ 鳴いてた

 

空は高くなり、富士山はもうじき山を閉じる

 

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ついでに、梨の話

昨日も少し触れましたが、我が家の前には梨畑が広がっていて

その畑をぐるっと回った反対側にオーナー(農家)の家がある。

毎年、8月になると農家の庭で梨を直売するので、週末ごとに買いに行く。

大人しそうだけど明るい奥さんが対応してくれたり、高校生くらいの娘さんが店番をしていたり、おじいさんが出てきたり いろいろだが、いつも梨を1個おまけしてくれる。

幸水豊水も なんちゃらいう梨も(聞いたけど忘れた)それぞれに美味しい。

走った後に食べる冷えた梨は、また格別 (#^.^#)

でも先週、収穫も販売も終了してしまった。今年は終わるの早いね。

夏が終わるのはほっとする気持ちもあるが、この農家の梨が終わったのは少し寂しい。

まだ、冷蔵庫に豊水が何個か残っているが、、

大事に食べよ。